あやふやな町 綾小路麩屋町

こんにちは。
5日間ほど強風が吹き荒れて、天気もうっとうしく気分も
滅入る日々が過ぎて、全国的に雨予想の今日、京都は
くっきり晴れています。大雨、又は渇水に悩む地方の方、
お見舞い申し上げます。


さて今日はちょっと落語を聞いていただきます。
  壁土を食べるのが好きやという男、大津の宿の廊下で
  壁土をぎょうさん食べて、翌朝、旅人たちがそれぞれ出立
  しますが、この男だけは、朝からえらい熱が出て、発つことが
  できない。駕籠を頼んで、京都の綾小路麩屋町、えらい
  アヤフヤな処やなと言われながら、家に帰り着きます。

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  2.3日で、熱は下がったが、右の肩にポツンと、ニキビの
  ようなものができた。かゆいのでかきむしるとつぶれる。
  又大きいのができる。だんだんと盛り上がって、大きな
  こぶになった。それが人間の顔のようになってきて、物を
  言いだします。
  「おい、おい」「あぁびっくりした。なんでんねん、あんた」
  「わしは武蔵坊弁慶じゃ」「弁慶!昔のあの、豪傑の弁慶はん
  ですか。義経公の家来の」
  「そうじゃ、その方、大津の宿で壁土をくろうた覚えがあろう」
  「へえ、確かにくらいましたが」「大津の絵師、浮世又平なる
  者が一心こめて描いたるわが絵姿が、あの中に塗り込めて
  あった。壁土に塗り込められたるを残念に思い、何とかして
  今一度、世に出でて源氏の御代にひるがえさんと心を砕く
  折から、その方が壁土をくろうたによって、その方の体を借りて
  ここへ出て来た。これから日に飯は二升、酒は三升飲むぞ。
  時々は散財にも連れて行け」
  「そんなアホなこと・・・・・」

肩に弁慶の頭を背負った男の災難が、おもしろおかしく続くこの
「こぶ弁慶」 というお題をいくら考えても思い出せず、何の話に
出てくる、綾小路麩屋町 だったかがずっと気になっていました。

  
先日と言っても大分前ですが、行ってみました。綾小路麩屋町に。
京都は碁盤の目だから、通りの順を知っていれば初めての所にも
簡単に行けます。四条から一つ南、寺町から二つ西が綾小路麩屋町
です。
でもこの看板?の写真を撮るには難しいことがありました。まず、
ここが綾小路麩屋町だと思った所で、住所を確かめようとしましたが
四方、何処を探しても住所を書いた、仁丹の広告の看板がありません。

そこで勇気を出して通りの真ん中に立っていた、おじさんに訊きました。
「ここは綾小路麩屋町ですね、看板みたいのありませんか?」
「ここは、難しいで、あっち、(仏光寺)ならあるで。」 どうやら看板
マニアの旅行者と思われたらしいです。「いや、ここのが見たいのです」

するとおじさんは、葉っぱの中に埋もれて見えなくなっていた看板を
葉っぱを押しのけて見せてくれました。写真を撮りたいなぁと独り言の
ように言うと、「持ってたろか?」と進んで葉っぱを押さえて看板の
写真を撮れるようにしてくれました。それが上の写真です。
私が声をかけなかったら、絶対に撮れなかった写真です。
看板は、「麩屋町綾小路」 となっていましたが。

お米屋の御主人だったみたいです。古くからのお店みたいでした。
ありがとうございます。お世話になりました。
綾小路麩屋町という交差点は、車が一台やっと通れるような細い
小さな道です。よっぽど気を付けないと通り過ぎます よ。


それでもまだ、綾小路麩屋町 がどの落語に出てきたものか思い出せずに
いました。アホですね、「落語 綾小路麩屋町」 と検索すればすぐ
出ました。「こぶ弁慶」 と分かりました。こぶ弁慶の話の内容は知って
いました。分かれば早いもんです。

 米朝さんの本、[上方落語地図」にありました。上の落語の部分は
この本から抜粋しました。

画像


私の思い出せないイライラを、皆さんに共有してもらって、どんだけの
意味があるのか、すびばせんでした。

https://3kazuki10ri.at.webry.info/201708/article_10.html
過去記事

 ここです、わかるかな? 綾小路麩屋町 あいまいな場所。
画像


落語地図を持っていると楽しいですよ!



   懐かしの昭和歌謡 
         https://www.youtube.com/watch?v=e9qvN5BNDIA






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この記事へのコメント

2019年05月21日 17:08
麩屋町と言うぐらいですから昔はお麩屋さんが軒を並べるほどあったのかな? でも麸で商売成り立つのかな? とか思ったりしながら読ませていただきました。 仁丹の看板は京都では今もあるんですか? オロナミンCとかボンカレーとか、金鳥のもあるですか?

最後の歌、これから聴きに行きます。
2019年05月22日 13:37
ダンデさん、こんにちは。
麩屋町通には昔、豆腐屋、麩屋、麺屋が多かったそうですが、これら麺麩店は早い時期に姿を消したそうです。経営状態はどうだったのでしょう。私の生まれた町内には麩屋さんがあって、2.3mもある焼き麩がまるで棒のように積まれていた記憶があります。
仁丹町名看板は、京都市の細い路にはまだたくさんあります。戦争中空襲をあまり受けなかったり、土地区画整理、町名整理等が行われなくて、明治初期の町名が現在まで続いていることなどが理由にあげられます。
町名看板を創るにあたり、自治体は費用がなく、森下仁丹が自社広告を兼ねて作ったそうです。便利で人々に喜ばれたでしょうね。
今回初めて知ったのですが、仁丹社は平成復刻版町名看板を作っているそうで、古い看板は新しい看板へと次第に取って代わられるでしょう。
オロナミンC、ボンカレー、金鳥渦巻は市内では見ませんねぇ。私は大村こんのオロナミンC、松山容子のボンカレーのミニチュアを食玩で持っています(笑)。
古い記事にまで気持玉を付けてもらってありがとうございました。
2019年05月26日 22:02
"米朝ばなし" 私も持っています。私の物と表紙の絵が違うので、続編が出たのかと思いました。この本、本当に貴重なお話が詰まってますね。私、何度かブログネタにさせて貰いました。(^^♪
2019年05月28日 13:59
y&mさん、ありがとうございます。コメントを拝見するのが遅れて申し訳ありません。
そうでしたか「米朝ばなし」持ってられましたか。私のは昭和26年初版の買ったのは27年第4刷のものです。表紙が違えば中身も違うのでしょうか。同じですよね。
v&mさんのブログを知ったのは、最近ですがすぐファンになりました。昔から読んでいたらよかった!とつくづく思います。面白いお話をありがとうございます。
2019年05月28日 14:15
訂正です。昭和56年版、57年に買ったものでした。昭和20年代はまだ生まれていません。この頃、よく間違います。よく物を落とします。落とし話は好きですが・・

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